スポーツブランドの歴史②
前回の記事では、以下の世界最古クラスの3つのスポーツブランドについてご紹介しました。
- Spalding(スポルディング):1876年にアメリカで創業
- Le Coq Sportif(ルコックスポルティフ):1882年にフランスで創業
- J.W. Foster & Sons(JWフォスターアンドソンズ):1895年にイギリスで創業
今回は日本のスポーツブランドの始まりについて書いて行きたいと思います。
現代のスポーツの原型は19世紀頃から生まれて行ったことは、前回述べましたが、その頃日本はどのような状況だったのでしょうか?
欧米の民主化から100年程遅れて、日本も民主化の道を進んで行きます。1868年、約265年間続いた江戸幕府が幕を閉じ、明治政府が立ち上がりました。日本の歴史で「お雇い外国人」という言葉を覚えていますでしょうか?幕末から明治にかけて日本政府や各府県などによって雇用された外国人の総称です。「殖産興業」と「富国強兵」を推し進める目的で雇用された彼らは、日本には無い欧米の技術・学問・制度を持ち込んで教えてくれましたが、その中にスポーツもありました。
公益財団法人野球殿堂博物館のWebサイトに野球の歴史が詳しく書かれています。Webサイトによると、日本に野球を伝えたのはホーレス・ウィルソンです。彼は日本の教育制度の近代化を支援するためにお雇い外国人として雇用され、東京帝国大学の前身である開成学校の英語の教師となりました。そして、1872年、ウィルソンは学生たちはもっと運動をするべきだと考え、野球を教えたと伝えられています。以下に野球が伝えられてからのストーリーをWebサイトから一部抜粋します。

国内初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」 公益財団法人野球殿堂博物館Webサイトより
- 1872年:ホーレス・ウィルソンがベースボールを伝える。
- 1878年:アメリカ留学から帰国した平岡熈が、わが国初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を結成。
- 1894年:中馬庚がベースボールを「野球」と訳す。
- 1896年:第一高等学校が横浜外国人チームに勝利し、野球人気が全国的に高まる。
- 1903年:早稲田が慶応に試合を申込み、早慶戦が始まる。
- 1905年:早大チームが初の米国遠征を行い、最新の野球技術を学んで帰国。
- 1906年:応援の過熱により、早慶戦が中止となる。
- 1907年:慶大が初めて外国チーム(ハワイ・セントルイス)を招待し、国内初の有料試合を行う。
この年表を見てみると、日本の野球は学生から広まったと言っても過言では無いでしょう。20世紀に入るまで、娯楽が少なかった日本に突如として現れた野球というスポーツは、多くの人々を熱狂の渦に巻き込んで行きました。この熱狂的スポーツが1人の10代後半の青年の心に火を付けます。その青年とは、今や日本の大手スポーツメーカーとなっているミズノの創業者、水野仁吉(後に利八を襲名)です。
1903年、京都の三高野球クラブと神戸外国人クラブの試合を見た仁吉は「世の中にこれほどワクワクするものがあるのか」と感動します。その約3年後、野球の魅力に取り憑かれた仁吉は、1906年4月1日、弟の水野利三と大阪市北区で水野兄弟商会を創業します。創業当時は洋品雑貨や野球ボールなどを販売していましたが、創業翌年の1907年、日本で野球を広めるべく、動きやすく快適な着心地を目指し運動用ウエアの製造を開始。ミズノ自身が謳っているわけではありませんが、おそらく記録に残っている日本最古のスポーツブランドと考えられます。その後、1910年に水野兄弟商会は店舗を大阪梅田新道に移転し、同時に「美津濃商店」と改名。矢継ぎ早に野球用品を世に出します。

大阪梅田新道の美津濃商店 ミズノ公式Webサイトより
- 1903年:水野仁吉が京都の三高野球クラブと神戸外国人クラブの試合で感銘を受ける
- 1906年:水野仁吉が弟の利三と「水野兄弟商会」を創業
- 1907年:「水野兄弟商会」が運動用ウェアを製造開始
- 1910年:「水野兄弟商会」が店舗を大阪梅田新道に移転し、同時に「美津濃商店」と改名。この頃野球シューズを発売する
- 1912年:東京の神田に東京支店を開設
- 1913年:野球グラブ、ボールの製造開始
野球用品店を手掛けていたのは、ミズノだけではありませんでした。1910年代には、後に読売巨人軍のユニフォームや、バット、グローブ、ボールなどを手がける玉澤や、立教大学時代にあのミスタージャイアンツ長嶋茂雄のグローブをつくっていた小林運動具店は、100年の時を超えて現在も営業を続けています。
野球用品が増え、野球人口増加に伴い、現在も行われている野球大会がスタートして行きます。
- 1913年:大阪実業団野球大会
- 1915年:第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)開催
- 1924年:第1回全国選抜中等学校野球大会(現在の春の甲子園大会)開催
- 1925年:東京六大学リーグ戦開始
- 1927年:都市対抗野球大会開始
- 1934年:大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツ)が誕生
- 1936年:7球団によって日本職業野球連盟創立され、プロ野球のリーグ戦開始

第1回全国中等学校優勝野球大会の始球式 朝日新聞ひろばより
ちなみにスポーツミツハシの創業は1911年、当時は「三橋文具店」という名称で、文房具店としてのスタートでした。そこから、スポーツ用品も扱うようになり、スポーツ用品事業に軸足を置くようになったと伝えられています。1915年に開催された第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)ですが、優勝校は京都二中(現在の京都府立鳥羽高等学校)です。なんと、野球が伝わった関東では無く、関西から優勝校があらわれたのです。当時奈良で創業した三橋文具店ですが、スポーツに移行したのは、少なからず関西の学生野球の躍動が影響したのではと推察しています。
話を戻します。野球がきっかけとなって創業したミズノでしたが、1920年代に入ると、野球以外のスポーツ用品の開発を進めていきます。以下、ミズノ公式Webサイトの歴史のページより抜粋です。
- 1921年:ゴルフクラブづくりの計画スタート
- 1923年:国内スキーの開発を始める
- 1927年:ヒッコリー製スキー板発売
- 1928年:陸上スパイク生産開始
- 1933年:初の日本製ゴルフクラブ「スターライン」発売
- 1934年:初のキャッチャーミットの製造販売開始
- 1936年:グライダー製造開始
- 1947年:テニスラケット製造開始
ゴルフ、スキー、陸上、テニスなど、複数スポーツに渡って日本初となるスポーツ用品が生み出されました。新しいスポーツがどんどん海外から入ってきて、どんどんスポーツ用品、スポーツブランドが生まれていくダイナミックな時代です。想像できるでしょうか?そんな時代に、ミズノはスポーツブランドとして大きな役割を果たした1社でした。そして創業100年を超えた今でも、大手スポーツブランドとして輝き続けています。
スポーツミツハシでは、ミズノの商品もお取り扱いしていますので、是非こちらから見てみて下さい。